材壱の山車は、江戸後期に制作された彫刻を有する、全幅が2728mm(9尺)、全長が3788mm(12.5尺)の屋台です。
車輪は直径 600 mm四輪で、焼き嵌めされた木製です。
前輪は、回転臼・引回し棒が備わっていて、曳行の際に左右へ動かすことで、方向転換が可能です。
架台上には高欄付の雛壇が備わっており、土台から延びる6本の本柱が桁を受けて、唐破風や装飾彫刻が上部屋根組を支えている構造になっています。
後部柱間にも唐破風や、彫刻された引分障子が取り付けられています。
東松山市材木町(旧松山本郷)は川越・熊谷道の旧松山宿に位置し、江戸時代には松山陣屋城下町として栄えたことで、祭屋台の制作は近在町内にも引けを取らない仕様にて制作が成されたものと考えられます。
2021年、ものつくり大学 横山晋一教授による調査が行われました。
調査では、中柱持送り彫刻の裏面の書彫刻により、山車の彫刻が飯田仙之助によるものであることがわかりました。
飯田仙之助は、箭弓稲荷神社本殿やハ霊神社本殿の彫刻制作を担った彫刻師です。
また、この書彫刻には、仙之助の師匠が「石原吟八郎」であったことが記されていました。加えて上州彫物師集団の祖でもあった「高松又ハ邦教」との関係までが明記されており、とても貴重な墨書であることがわかりました。
ちなみに、飯田仙之助の役年は、天保7年(1836)1月であることから、山車の彫刻の制作年代は遅くとも天保6年(1835)頃までと推測されます。
持送り彫刻
前面
後面